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岐阜地方裁判所 昭和60年(ワ)249号 判決

原告

竹内晨隆

竹内美智子

右両名訴訟代理人弁護士

蓑輪弘隆

蓑輪幸代

安藤友人

横山文夫

鷲見和人

被告

山内浩

右訴訟代理人弁護士

竹内三郎

鵜飼源一

被告

岐阜県

右代表者知事

梶原拓

右訴訟代理人弁護士

清田信栄

主文

一  被告岐阜県は、原告らに対し、それぞれ金一五〇万円及びこれに対する平成二年一二月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らの被告岐阜県に対するその余の請求及び被告山内浩に対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告らと被告岐阜県との間で生じた部分はこれを五分し、その一を被告岐阜県の負担、その余は原告らの負担とし、原告らと被告山内浩との間で生じた部分は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  (主位的請求)

被告らは、各自連帯して、原告らに対し、それぞれ金二五〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年六月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(予備的請求)

被告らは、各自連帯して、原告らに対し、それぞれ金五〇〇万円及びこれに対する平成二年一二月五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

(被告ら両名)

1 原告らの請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  (当事者)

原告竹内晨隆(以下「原告晨隆」という。)と同竹内美智子(以下「原告美智子」という。)は夫婦であり、昭和六〇年三月二三日当時岐阜県立中津商業高等学校(以下「本件高校」という。)の二年生であって、同日自殺した訴外竹内花子(昭和四二年六月一五日生、以下「花子」という。)の両親である。

被告山内浩(以下「被告山内」という。)は、本件高校の保健体育担当の教師として同校陸上競技部(以下「本件陸上部」という。)の顧問の地位にあった者であり、また、被告岐阜県は普通地方公共団体であって、本件高校を設置し管理する者である。

2  (花子の自殺に至る経緯)

(一) 花子は、昭和五八年四月、本件高校に入学するとともに自ら進んで陸上部に入部し、やり投げの選手として、被告山内の指導の下で毎日練習に励んでいた。

(二) 花子は、一年生のときの岐阜県大会新人戦及び二年生のときの県高校選手権大会で優勝し、さらに昭和五九年一〇月に奈良県で開催された国民体育大会(以下「奈良国体」という。)にも出場するほどの優秀な選手であり、同年度のやり投げ全国高校生ランキングは一六位であった。

(三) 陸上部におけるやり投げの練習は、授業の始まる前に約一時間及び放課後約三時間行われていたが、雨天の日や日曜日にも行われたばかりか、花子は体調が悪いときでも、また、負傷していても被告山内に練習を強いられた。また、花子は、一年生のころから、他の生徒とともに被告山内の乗用車に乗せられて登下校するなど、被告山内によって自由を束縛された生活を送っていた。

(四) このように、被告山内は、花子に対し、自由を束縛し過酷な練習を強いたばかりでなく、後述のとおり、執ように花子をしっ責しあるいは暴力を振るうことがあり、これら暴力・暴言は日常的なものであった。

(五) そして、これら被告山内からの日常的な暴力・暴言による精神的苦痛に耐えかねた花子は、昭和六〇年三月二三日早朝、自分の部屋で首をつって自殺した。死亡推定時刻は同日午前三時であった。

3  (被告山内の不法行為)

被告山内が花子に対して加えた違法な暴行・傷害等の主なものは次のとおりである。

(一) 被告山内は花子に対し、一年生のころから、しばしば「ブス」などといって同女を侮辱した。「ブス」という言葉が思春期の少女に精神的苦痛を与えたことはいうまでもない。

(二) 昭和五八年八月一〇日には、やり投げでよい記録がでないとして練習の途中で「もうやらなくていい。」などといい、同月一一日には「お前はバカだ。なんどいったらわかるんや。」「陸上部をやめろ。」などと暴言を浴びせ、また、同年九月一六日には、花子が練習のときに肘が痛いのを顔に出したのがいけないから退部せよなどと理不尽なことをいったうえ、花子を土下座させて謝罪させ、さらに、昭和五九年一〇月二三日には、「のらくらでぐず。」「心の中が腐っている。」「猿の物まねしかできない。」などとば倒した。

(三) 昭和五八年の二学期ころから、被告山内は、花子によい記録が出ないことなどを理由として同女の頭部などをやりで頻繁にたたいた。そこで原告美智子が被告山内が家庭訪問した際に、たたかないでたまには褒めたり、おだてたりの指導もしてほしい旨被告山内に要望したが、同人はこれを拒否した。

(四) 昭和五九年三月ころ、花子が疲労骨折で二か月間は練習しないように医師に指示されていたにもかかわらず、同年四月八日、被告山内は花子に対し「病院には花子の足のことなどわからない。」などと非科学的なことをいって同女に練習を続けさせた。

また、同年五月一六日には、花子が他の陸上部員の通院を制止しなかったことに対して、「痛いかどうか聞くのではなく、厳しくいって一日でも練習を休ませないのが本当の思いやりだ。」などといって花子を強くしかった。

(五) 同年七月二八日、その日は同月二六日から始まった陸上部の合宿の第三日目であったが、その日、被告山内は花子が昼食のご飯を一杯しか食べなかったことを理由に「一年生にしめしがつかない。」として花子を含む三名の女子生徒を正座させたうえ、同人らの頭部を竹やりで数回、最後には竹やりが割れて飛び散るほど殴打した。そのうえ、被告山内は花子に無理やり五杯も食べさせた。

(六) 同年八月、被告山内は、花子の推薦で陸上部に入った後輩の訴外野田千里(以下「野田」という。)が同部を退部したことにつき、花子に対し、「お前の責任だ。」として二日間体育教官室において同女を土下座させた。

(七) 同月一四日ころには、被告山内は花子に対し、同女が前日無断で練習を休んだこと、野田に対し陸上部をやめないように説得できなかったこと及び練習でよい記録を出せなかったことを理由として、花子の頭部を試合用のやりで強打した。そのため、花子は頭部がみみず腫れになり洗髪もできなくなる程の傷害を受けた。

そして、その翌日も被告山内は同じ部位をやりでたたいた。

(八) 同年一〇月八日、被告山内は花子に対し、日記をつけなかったとの理由で体育館において同女の顔面を手拳や平手で繰り返し殴打した。そのため、花子の顔は腫れ上がり、左目の横は内出血で黒くなった。

(九) 同年一一月三日、広島へ修学旅行中の大久野島において、被告山内は、朝寝坊して練習に遅れたことに対し、花子を含む女子生徒六名及び男子生徒七名を正座させ、その際、花子の右大腿部を、同女の身体が九〇度左に回転してしまう程五回くらい強くけった。そのため、花子は右大腿部に黒あざができるほどの傷害を受けた。

(一〇) 花子は、二年生の三学期末の試験で計算実務が不合格であったが、その後、追試験を受けて合格した。

しかし、昭和六〇年三月二二日、被告山内は花子に対し、右不合格と追試験の成績の件で、体育教官室において、午前一一時三〇分ころから午後一時ころまでの約一時間三〇分にわたり同女を起立させたままで説教した。そのため、花子は当日朝食をとっていなかったのに昼食をとることができなかった。花子はその後約一時間三〇分にわたって担任の訴外長瀬隆夫教諭(以下「長瀬教諭」という。)から説教を受けたが、その後の同日午後二時三〇分ころから、被告山内は再び花子を体育教官室で起立させ、同日午後五時三〇分ころまで、約三時間にわたって「追試験の成績が悪い。」「お前は家の人に、『しかられた。』と告げ口しているのではないか。」などと大声では声を浴びせ、竹刀でたたいたりした。

このように、花子は被告山内から合計四時間三〇分にもわたって起立させられるなど自由を束縛されたうえ、食事すらとらせてもらえないという体罰や暴力により著しい苦痛を受けた。

その後、花子は同日午後七時一〇分ころ帰宅したが、その際、同女は家族に対し、被告山内の執ような攻撃による苦しみ、くやしさに耐えて自分の舌を噛んでいた旨の話をした後(そのため、同女の舌は紫色に変色していた。)、夕食もとらずに自分の部屋に引きこもった。その後、同日午後一〇時ころから心配した原告晨隆と少し話をしたが、花子はただ涙を流すばかりであった。

そして、翌同月二三日午前五時三〇分ころ、原告美智子が、自分の部屋で首をつって自殺している花子を発見した。

4  (被告らの責任)

(一) (主位的責任原因)

(1) 被告山内の責任

前記3記載のとおり、被告山内は花子に対して執ような暴行・傷害等を加えたものであるが、まず、これらの行為はすべて被告山内の故意によるものであり、また、被告山内は、私的感情に基づき無抵抗で弱い立場にある花子に対し日常的に暴力等を加えたものであって、右行為は極めて悪質で、かつ違法性の強いものである。

そして、前述の被告山内の暴行・傷害等と花子の自殺との間に相当因果関係が存すること及び被告山内には花子の自殺について重過失があることは次のとおり明白である。すなわち、花子は既に昭和五八年夏ころから自由に飢えていたが、前述のとおり、連日のように練習に追われて日曜日も休めず、しかも登下校まで被告山内の車によって送迎されていたので自由時間が少ないために強い拘束感を持っていたばかりでなく、被告山内の日常的で執ような暴力及び暴言によって、肉体的・精神的に疲労が著しく蓄積していた。現に、昭和五九年八月二日、花子は、その前日に自主トレーニングをしないでコンサートを聞きに行ったことを理由に、被告山内に陸上部の先輩の前でしかられ、そのことを苦にして翌同月三日早朝に家出をしたことがあった。そのとき、原告らは花子の自殺を恐れて被告山内にも連絡し、同被告も心当たりに連絡するなどして花子の行方を捜索した。幸い、この時は花子は自殺を思い止まり、原告晨隆の説得により帰宅したため大事に至らずに済んだものの、以上の状況からすれば、昭和五九、六〇年当時、被告山内が花子に対し、暴行・傷害等を加えあるいは強くしっ責すると、同女が自殺を決意することがありうることは明らかであったのであり、また、前述の家出の経過に照らせば、被告山内自身も、自己の暴行・傷害等によって花子が自殺することを十分予見できたし、教育者として予見しなければならない立場にあったのである。

したがって、被告山内は、自己の花子に対する不法行為に基づいて発生した後記5(一)記載の各損害を賠償する責任がある。

(2) 被告岐阜県の責任

前記3記載の被告山内の行為は、公権力の行使に当たる公務員である同人がその職務の一環として行った違法行為であるから、被告岐阜県は国家賠償法一条一項により、それによって生じた後記5(一)記載の各損害を被告山内と連帯して賠償する責任がある。

仮に、被告山内が公権力の行使に当たる公務員でないとする場合は、被告岐阜県は被告山内の使用者として民法七一五条一項の使用者責任に基づき後記5(一)記載の各損害を被告山内と連帯して賠償する責任がある。

(二) (予備的責任原因)

(1) 被告山内の責任

仮に被告山内の花子に対する暴行・傷害等と花子の自殺との間に相当因果関係が認められない場合でも、前記3記載の被告山内の行為自体、教育的配慮の全くない暴言・暴力であり、陸上部顧問と部員という花子にとっては抵抗の余地のない上下服従関係の下で繰り返された極めて悪質な違法行為であるから、被告山内は右行為によって発生した後記5(二)記載の損害を賠償する責任がある。

(2) 被告岐阜県の責任

前記(一)(2)記載の理由と同様に、被告岐阜県は右(二)(1)記載の被告山内の行為によって発生した後記5(二)記載の損害につき被告山内と連帯して賠償する責任がある。

5  (損害)

(一)(1) 花子は、前記4(一)(1)記載の被告山内の不法行為により次のとおりの損害を被った。

① 死亡による逸失利益

二二七〇万四五二五円

花子は死亡当時満一七歳の健康な女子であり、昭和六一年四月(一八歳)から就労する予定であった。そして、昭和六一年賃金センサス第一巻第一表によると、新制高校卒業の一八歳の女子労働者の年収は金一五九万三三〇〇円であるから、右年収から生活費四〇パーセントを控除したうえ、花子の就労可能年数四九年に対応する新ホフマン係数を乗じて計算すると、花子の逸失利益は、二二七〇万四五二五円となる。

1,593,300×(1−0.4)×23.750=22,704,525

② 慰謝料 二〇〇〇万円

花子の「お父さん…お母さん…私は疲れました。もうこれ以上に逃げ道はありません。なんで他の子は楽しいクラブなのに私はこんなに苦しまなければならないの。たたかれるのはもうイヤ、泣くのももうイヤ…だからもうこの世にいたくないの…。」という疲れ切った悲痛な叫びの遺書に簡潔に示されているように、被告山内の暴行・傷害等により追いつめられ、わずか一七歳で自らの命を絶たなければならなかった花子の精神的な苦痛は筆舌に尽くしがたいものといわなければならない。右花子の精神的苦痛をあえて金銭に換算すれば、二〇〇〇万円を下ることはない。

(2) 相続

原告らは、花子の両親として法定相続分に従い、右(1)①及び②記載の損害賠償請求権を各二分の一ずつ相続した。

(3) 原告ら固有の慰謝料

各五〇〇万円

被告山内の暴行・傷害等によって我が子が自殺に追い込まれた両親の精神的苦痛は筆舌に尽くしがたいものがある。右原告らの精神的苦痛をあえて金銭に換算すれば、各五〇〇万円を下ることはない。

(4) 葬儀費用 一〇〇万円

原告晨隆が支出した。

(5) 以上の結果、原告晨隆は二七三五万二二六二円、原告美智子は二六三五万二二六二円の被告らに対する損害賠償請求権をそれぞれ取得した(いずれの場合も一円未満切捨て。)。

(二)(1) 花子は、前記4(二)(1)記載の被告山内の不法行為により次のとおりの損害を被った。

慰謝料 一〇〇〇万円

前述のとおり、花子はなんの抵抗もできない上下服従関係の下で被告山内によって繰り返し暴行・傷害等の不法行為を受けたものであって、それだけに花子の精神的苦痛は著しく強烈かつ持続的なものである。右精神的苦痛をあえて金銭に換算すれば、一〇〇〇万円を下ることはない。

(2) 原告らは、花子の両親として法定相続分に従い、右(二)(1)記載の慰謝料請求権を各二分の一ずつ相続した。

(3) 以上の結果、原告晨隆及び同美智子は被告らに対する各五〇〇万円の慰謝料請求権を取得した。

6  (結論)

よって、原告らは、被告山内に対しては花子に対する不法行為に基づく損害賠償請求として、被告岐阜県に対しては国家賠償法に基づく請求あるいは民法七一五条に基づく請求として、主位的に、前記5(一)記載の損害賠償請求の一部請求として、原告らについてそれぞれ金二五〇〇万円及び右各金員に対する本訴状送達の日の翌日である昭和六〇年六月一二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の、予備的に前記5(二)記載の請求として、原告らについてそれぞれ金五〇〇万円及び右各金員に対する訴えの変更申立書送達の日の翌日である平成二年一二月五日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  被告山内

(一) 請求原因1は認める

(二)(1) 同2(一)及び(二)は、認める。

(2) 同2(三)のうち、陸上部におけるやり投げの練習が授業の始まる前に約四〇分及び放課後約二、三時間行われていたこと、雨天の日でも練習が行われたこと(ただし、場所は体育館であった。)及び花子が一年生のころから他の生徒とともに被告山内の乗用車で登校していたことは認め、その余は否認する。日曜日に練習が行われことはない。

また、花子は下校のときはほとんど電車を利用していた。

(3) 同2(四)は否認する。

(4) 同2(五)は不知ないし否認する。

(三)(1) 同3(一)のうち、被告山内が陸上部のOBに対し、「ブスばかりで。」と冗談でいったことは認めるが、その余は否認する。仮に、被告山内が選手らに「ブス」といったとしても、それは被告山内の選手らを愛する逆の表現であって選手らもそのことをよく理解しており、決して侮辱の言葉ではない。

(2) 同3(二)ないし(四)はすべて否認する。

まず、(二)について、原告らは、被告山内が花子を土下座させたというが、事実はそうではなく、ここにいう土下座とは選手達が最も効果的な謝り方と考えて自発的に行うものであって、多分に芝居がかった行為にすぎない。

また、(三)について、被告山内は陸上の指導中竹やりを持っていることが多かったが、それは、例えば競技の指導中に「腰が入っていない。」として腰を竹やりで触るというように、選手に注意を喚起するための道具として使用していたにすぎないし、竹やりといっても直径二センチメートル程度のごく軽いものであった。また、被告山内が花子の家庭を訪問した際に、原告美智子からそのようなことをいわれたことは一度もない。

さらに、(四)について、原告らは、花子が疲労骨折で二か月間は練習しないようにと医師にいわれていた旨主張するが、花子が被告山内に疲労骨折になったと申告した事実はないし、仮にあったとしても、当時の花子の練習量と内容からみて花子の右足に疲労骨折が起こっていた可能性はないと考えられる。本当に疲労骨折であれば、その部位は休ませる以外に方法はないのであって、ただ、当時花子は足が痛いといっていたため、被告山内はまず上体の運動やベンチプレスをやるように指導していたし、少なくとも一〇日間は完全に練習を休ませており、痛みがなくなるまで足を使っての練習はやらせていない。同女に非科学的なことをいって練習を強制した事実は全くないし、部員の通院を阻止したことなど一度もない。

(3) 同3(五)のうち、原告らの主張の日から陸上部の合宿が始まったこと及び食事を必要量とらなかったので強くしかったことは認めるが、その余は否認する。このとき、竹やりが割れて飛び散ったのは、被告山内が怒ってその竹やりで机をたたいたからであって、花子ら生徒の頭部をたたいたからではない。

(4) 同3(六)のうち、野田の入退部が原告らの主張のとおりであることは認め、その余は否認する。原告らは、被告山内が花子を土下座させたというが、被告山内は生徒に土下座を要求したことはない。

(5) 同3(七)は否認する。原告ら主張のころ、被告山内が花子を口頭でしかったことはあるが、やりで頭部をたたいたことはない。そのときしかった理由は、同女が校則に違反して深夜外出していたこと及び練習をさぼるなど一流選手としての自覚に欠けていたからである。

(6) 同3(八)のうち、被告山内が、日誌をつけなかったことを理由に花子のほおを平手で一回たたいたことは認めるが、手拳や平手で繰り返し殴打したことは否認する。被告山内は、日誌を指導者が多数の部員と心の交わりを保ち一人一人に本当の指導をするための重要な手段であると考えており、部員にも日誌の重要性を日頃から説明していた。しかも、国体が間近であり記録会での同女の動きが鈍かったにもかかわらず、その反省の日誌を提出しないということは重大な怠慢であり、したがって、花子も怒られる意味と必然性をよく理解していたものである。

また、同女が日誌に「顔が腫れるくらい」と記載したのは一種の形容詞であり、現実には殴られて顔が腫れたという事実はなかったものである。

(7) 同3(九)のうち、被告山内の花子に対する暴行の程度及び態様は否認し、その余は認める。同女はしかられた原因をよく理解しており深く反省していた。また、このとき、被告山内は生徒らに正座を要求したことはなく、生徒らがしかられて自発的に正座したものである。さらに、このとき被告山内は花子の大腿部を足のつま先で軽く一回けったにすぎない。

(8) 同3(一〇)のうち、花子が計算実務に不合格になったこと、その後追試験に合格したこと及び被告山内が花子を原告ら主張の場所で説諭し、その際、同女に対し、「追試験の成績が悪い。」といったことは認め、その余は不知ないし否認する。

被告山内は、昭和六〇年三月二二日午前一一時三〇分ころ、花子が、同級生である訴外山内睦美の忠告によって、同日の追試験に合格した件で自発的に体育教官室に来たので、同女に対し約一時間にわたって説諭(あるいは訓戒であって説教ではない。)したにすぎない。

そして、正午には、「昼だ。食事だから帰れ。」といって右説諭をやめたのであって、花子に昼食の機会を与えなかったという事実はない。その後、同日午後三時四〇分ころ、花子が一人で再び体育教官室に来たので、被告山内は仕事中であったため同女を立たせたまま午後引き続いて説諭したものの、右説諭も午後五時ころにはやめている。被告山内が厳しく花子を説諭したのは、本件高校では欠点をとったら留年することになっており、また、陸上部の従前のしきたりでは欠点をとった者は合宿に参加させないことになっていたところ、実際、一年前に二人の陸上部員が欠点をとったため退学しているという現実を同女が十分知っていたのに、追試験の成績が悪かったので、しかったものである。このとき、被告山内は、従前のしきたりにもかかわらず、同女をなんとか許して合宿に参加させてやりたいとさえ考えていたものである。

(四)(1) 同4(一)(1)のうち、その前日に自主トレーニングをしないでコンサートを聞きに行き午後一一時過ぎに帰宅したことを理由に、被告山内が花子を陸上部の先輩の前でしかったこと、翌同月三日早朝に同女が家出をしたこと、被告山内が連絡を受け、心当たりに連絡するなどして同女の行方を捜索したことは認め、その余は不知ないし否認する。

特に、被告山内に故意があるとの主張、違法性が強いとの主張及び相当因果関係があるとの主張は強く否認ないし争う。被告山内が選手に対しきつく当ったことがあったとしても、それは素質のある選手をより強い選手に鍛え上げようとする同人の選手に対する愛情に基づく指導であって、あたかも親が子供を教育するためにたたくのと同様であり、何ら非難されるべきものではない。

(2) 同4(二)(1)は、否認ないし争う。

(五) 同5及び6は、すべて否認ないし争う。

原告らは、5(一)(1)②において、〈書証番号省略〉を花子の遺言書として引用するが、右文書は死の直前に書かれたものではなくその数日前に書かれたものであって、しかも発見は数日後であり、もちろん遺言書ではなく本件自殺とは直接関係のないものである。また、スポーツの場において「たたく」「泣く」という言葉は厳しい練習を意味するものであって、花子が「たたかれるのはもうイヤ」「泣くのももうイヤ」と書いたのは、被告山内に殴られるのはいやだという意味ではなく、単に厳しい練習を嫌った言葉にすぎない。

2  被告岐阜県

(一) 請求原因1は、認める。

(二) 同2及び同3の認否については、相被告山内と同様であるので、右認否を援用する。

(三) 同4(一)(2)及び同4(二)(2)については、いずれも否認ないし争う。なお、同4(一)(1)に主張されている事実についての認否は、相被告山内と同様であるので右認否を援用する。

(四) 同5及び同6はいずれも否認ないし争う。被告岐阜県に何ら責任がないのは後述のとおりである。

三  被告らの主張及び抗弁

1  被告山内

(一) 法的主張

(1) (因果関係の不存在)

原告らは、被告山内の行為と花子の自殺との間に相当因果関係が存在する旨主張するが、次のとおり相当因果関係は存在しないというべきである。

① (本件自殺の主因について)

被告山内の花子に対する有形力の行使は原告らが主張するように多数存在するのではなく、請求原因に対する認否において主張したとおり、実際には、昭和五九年一〇月八日に平手でほおを一回たたいた件と、同年一一月三日に花子の大腿部を軽くけった件の二回のみであるし、その他の花子に対する説諭及び忠告も陸上部の顧問が部員に対して行う激励として相当なものであるから、これらが直接花子の自殺の原因になるとは到底考えられないものである。また、仮に被告山内の花子に対する説諭ないし有形力の行使が原告らの主張するような暴言ないし暴力と評価されるとしても、それらの時間的接着性の程度、内容、回数、理由、その当時の状況並びに花子の年令、心身の状態及び本人の反省の内容を総合的に考慮すれば、これら原告らのいうところの暴力ないし暴言が自殺の原因になるとも考えられないというべきである。少なくとも、これらは自殺の誘引にはなりえても主因ではない。自殺の動機・原因は他にあるものと思われる。

すなわち、花子の自殺にはその唯一決定的な原因というものはなく複数の原因が相乗的に作用してそれが増幅された結果、自殺の主因を形成したものと考えられるのである。そして、その複数の原因としては次のものが考えられる。まず、自殺志向の強い花子自身の性格である。花子は、思春期の女性にみられる情緒不安定な状況に陥っていたこともあって自殺を志向する傾向にあり、友人と自殺する約束をしたこともあり、原告美智子も花子の自殺を心配していた。その背景には、花子の祖母が首つり自殺をして亡くなったことがある。また、男子のような肉付きの自己の体型に対する嫌悪、思うようにならない異性関係、学業の不振、やり投げの記録の伸び悩み、学業や陸上競技から解放されたいという遊びへの願望及びそれらが万事うまく運ばないことへの挫折感や焦燥にさいなまれ、ついには現実からの逃避を願って自殺に傾斜していったものと考えられるのである。したがって、被告山内の花子に対する説諭ないし有形力の行使が同女の自殺の決定的な原因であるかのような原告らの主張は失当である。

② (被告山内の予見可能性の不存在)

原告らが主張している諸事実は、被告山内に花子の自殺についての予見義務を成立させるには程遠いものばかりであり、昭和五九年八月三日の花子の家出についても、被告山内としては右家出は同女の異性関係に起因するものでおよそ自殺の可能性はないと考えていたものである。したがって、被告山内には花子の自殺に対する予見義務は存在しなかったというべきである。

(2) 慰謝料請求権の一身専属性(予備的責任原因に対して)

① (慰謝料請求の自律性)

原告らは、花子が被告山内の行為によって受けた精神的苦痛を理由として慰謝料請求権を取得し、さらに原告らがそれを相続した旨主張するが、そもそも加害行為に対してそれを不法行為として慰謝料請求するかどうかは被害者の自律的判断に委ねられるところ、本件では、原告が主張する被告山内の不法行為と相続発生との間には四か月ないし一年半という長い時間的経過が存するにもかかわらず、花子は一度として被告山内に慰謝料を請求するような言動をしたことはなく、かえって、その間、被告山内にしっ責されあるいは有形力の行使を受ける度に、それらを自分の競技に対するよき指導として反省し、より一層の努力を誓っていたものであって、そこには不法行為として慰謝料を請求しようなどという姿勢は全くみられない。それどころか、花子の自殺当日の遺書には、「私は先生が好きだったけど何も恩返しができんかった。…人よりも多く感謝していたけど、私はすかれなかった…。」と逆に被告山内の指導に対して感謝していたのである。したがって、このような花子本人の自律的判断を尊重するならば、慰謝料請求権はそもそも発生していないかあるいは既に消滅しているものというべきであるから、花子の死亡によって原告らが右請求権を相続するいわれはない。原告らは、未成年者である花子は慰謝料請求権を単独で放棄することはできない旨主張するが、運動部の生活あるいは競技の指導者と選手という関係では、高校二年生にそのことを判断し処分する能力は十分にあるというべきである。

② (意思表示の不存在)

仮に生前花子が被告山内の行為によって慰謝料請求の基礎となるような精神的苦痛を被っていたとしても、そもそも慰謝料請求権は行使上の一身専属権であり、これを行使するか否かは専ら被害者自身の意思によって決せられるべきところ、花子は生前に被告山内に対して慰謝料請求の意思表示をしていた事実はないから、この点からも原告らが右慰謝料請求権を相続するいわれはない。

(二) 抗弁(違法性阻却事由)

(1) (社会教育活動と有形力行使の許容性)

歴史的及び教育法的にみても、部活動とクラブ活動は本来区別すべきものであるところ、本件陸上部のような部活動はクラブ活動とは異なり、学校教育活動ではなく、より社会教育活動的性格の強いものである。

すなわち、学校教育法施行規則によれば、高等学校の教育課程は正規の授業(同規則五七条)と高等学校学習指導要領(以下「学習指導要領」という。)によるものとされ、正規の授業と学習指導要領に定められたもののみが高等学校教育である。ところで、本件自殺当時適用されていた昭和五三年の学習指導要領の条文中には「クラブ活動」は特別活動として学校教育の一環として位置付けられているものの、「部活動」についてはその定義すら見当たらず、わずかに学習指導要領の最後に「運動部」という用語が出てくるにすぎない。しかも学習指導要領以外の他の学校教育に関する諸法規の中にはそもそも「部活動」という文言すら見当たらないのである。すなわち、歴史上も、法規上も、部活動は高等学校教育の範ちゅうではないのである。また、「児童、生徒の運動競技について」という文部省事務次官通達(昭和五四年四月五日付、以下「本件事務次官通達」という。)も、生徒の行う運動競技を「学校教育活動としての対外運動競技」と「学校教育活動以外の運動競技」との二種類に分類し、生徒の行う運動競技について明らかに学校教育活動に含まれないものが存在することを示しているのである。

実際にも体育系の部活動は毎日放課後に二、三時間行われるものであって、その内容も一般教科の体育や特別活動であるクラブ活動とは異なり、右学校教育では学びえないものをスポーツを通じて人間らしく生きることに寄与する(人間形成に資する)ために、やりたい人、好きな人が私的に行う自由な活動であり、クラブ活動より高度で専門的な内容を持った活動である。それは、指導する教師にとっては勤務時間外の指導であり、参加する生徒にとってはその自由意思による私的活動であって、学校は単にそれに助言し援助する立場にあるにすぎないのである。

つまり、体育系の部活動の内容が一般的に学校生活の一種であることは否定できないとしても、他方、部活動には社会体育(競技スポーツ)の範ちゅうに入る活動も多く存在するのであって、このように学校体育の面と社会体育の面を併せ持つ部活動においては、それを一律に学校教育活動であると位置付けることは正しくないのである。

そして、花子のように全国高校三傑に入るような生徒の部活動の練習方法や指導方針は必然的に他の部員とは異なる高度のレベルのものが要求されており、より社会体育の部分が多くなるのであって、前述の次官通達の分類にいうところの「学校教育活動以外の運動競技」に当たるのである。

結局、被告山内の陸上部顧問としての花子に対する指導も学校教育活動ではなく社会教育活動であって、そうである以上、それは学校教育が目的とする人格の完成を目指す活動というよりも、より優秀な運動選手としてどこまで自分の才能を伸ばせるかということを目的とするものであって、花子も同様の動機付けと自己強化への欲求があったものである。したがって、そこでは、当然に厳しい指導や練習が前提とされているので、指導者と選手との関係においては、指導者の選手に対するある程度のしっ責あるいは有形力の行使も選手を鍛えるための一手段として許容されており(このような指導者と選手の出会いがスポーツの社会における条理である。)、本件における被告山内の花子に対する指導もそのようなものとして社会的に許容される範囲内のものであったというべきであるから、なんら違法ではない。

(2) (正当な懲戒権の行使)

仮に陸上部における被告山内の花子に対する指導が学校教育活動であるとしても、被告山内の花子に対する二回の有形力の行使は、必要やむを得ぬ教育、矯正の方法であり、懲戒権の行使として許容される範囲のものであって、学校教育法にいう「体罰」ではない。

(3) (被害者の承諾)

運動競技においては、目標が高くなり、その指導内容が高度になればなるほど、技術的な指導内容の修得が困難となり、けがに対する危険も増大するので、指導者も選手も厳しい態度で練習しなければならない。したがって、高度な技術指導の場では、選手も、練習中大事故にならないように指導者の厳しい指導を望み、あるときには有形力の行使を容認(承諾)しているのである。もちろん、この承諾は、選手が加害内容について正常な判断力を持つことを前提に、練習のために必要なものと理解したうえで自らの自由意思によって行われなければならないが、その承諾は明示あるいは黙示を問わず、周囲の状況から承諾があったとみられる場合でもよいというべきである。そして、本件でも、やり投げは選手が注意力を欠くと大事故になりかねない種目であるので、被告山内は選手が注意力散漫にならないように常に厳しく指導していたものであって、そのために時に有形力を行使することがあっても花子ら部員はそのことを事前に容認していたものである。

したがって、被告山内の花子に対する有形力の行使については、右承諾により社会的に相当な行為として違法性は阻却されるというべきである。

2  被告岐阜県

(一) 法的主張

(1) (因果関係の不存在)

原告らは、被告山内の行為と花子の自殺との間に相当因果関係が存在する旨主張するが、次のとおり相当因果関係は存在しないというべきである。

① (花子の自殺の原因について)

原告らは、本件自殺以前の一年ないし四か月の間に合宿あるいは練習中、被告山内が花子に対し暴言あるいは暴力を振るったとし、これらも自殺の原因であるかのように主張するが、そもそも自殺という行為は紛れもなく本人の選択であって原則的に第三者からの加害性は否定されるべきものであるし、仮に原告の主張に近い事実があったとしても、その時間的接着性及び内容からみて到底自殺という深刻な対応に迫られるとは考えられず、もしこれらの暴力が原因というなら既にそのころ自殺していたはずである。花子の自殺の原因は他に存在していたものと思われる。右自殺の動機及び原因に関しては、前記1(一)①記載の相被告山内の主張と同様であるのでこれを援用する。仮に被告山内の花子に対する行為が自殺の原因に含まれるとしても、それは複数存在する自殺の原因の中の単なる遠因あるいは条件の一部にすぎないというべきである。

② (予見可能性の不存在)

仮に被告山内の花子に対する訓戒行為等が体罰ないし暴行にあたると仮定しても、そのことが直ちに自殺を招くかもしれないとの予見可能性はない。すなわち、被告山内の陸上部顧問としての対応は急に変わったのではなく、長年にわたって多くの部員に対して向けられてきたものであるにもかかわらず、花子と同様な立場にあった他の部員も含めて、本件以前に自殺者を出したことは一度もない。

したがって、花子の本件自殺は、被告山内の経験及び予見能力をはるかに越える事態であったものである。むしろ、原告らにこそ花子の自殺の予見可能性があったのであり、原告らが右自殺の危険性を感じていたにもかかわらず、被告山内との関係でその原因の究明ないし除去に当たっていないことの方がより問題である。

(2) (「公権力の行使」の希薄性)

陸上部の活動は高校の必須科目ではなく各人の任意選択であり、いわば同好会組織である。そして、部活動というものは、教科の成績とは関係がないばかりか、学校教員のみでなく外部の者も顧問になることがあり、しかも各学校の校長の権限で運営でき、さらに関与する教師の指導についても勤務命令を出せないものであるから、このような各学校の部活動に対して被告岐阜県が教育委員会を通じて行う指導監督についてはおのずと制約が存するものである。このことから「公権力の行使」への該当性は一層希薄になり、仮に被告山内が不法行為責任を負うとしても、被告岐阜県としては右実情に対応した責任しか負わないものである。

(3) (慰謝料請求権の一身専属性)

① まず、後述のように、被告山内の花子に対する言動及び有形力の行使については、危険の引受あるいは被害者の承諾があるものとして違法性が阻却される相当行為というべきものであるから、そもそも被害がないかあるいは花子はそれによって慰謝料請求の基礎となるような精神的苦痛を受けていないというべきである。学校ないし集団行動の場では、時に個人を比較して、優良な者は褒賞し、劣悪者へは否定的評価をすることは不可避である。その者が右否定的評価を受けたことで被害意識を持ったとしても、それは名誉や人格権の侵害ではなく単なる反射的効果にすぎないものである。したがって、そもそも花子に慰謝料請求権は発生しておらず、同人について発生していない慰謝料請求権をあたかも発生しているものと仮定して、それを原告らが相続しているという主張は失当である。

② また、仮に花子が慰謝料請求権を既に取得していたとしても、右請求権はそもそも一身専属権であり、特に不法行為では近親者は固有の慰謝料請求権を有していることから考えても、それは本来相続にはなじまない性質の請求権であるというべきであるから、この点からも、原告らの慰謝料請求権の相続の主張は失当である。

(二) 抗弁(違法性阻却事由)

(危険の引受ないし被害者の承諾)

本件は、部活動そのものから生じたけがないし死亡事故ではなく、教師による指導方法を原因として生徒が自宅で自殺したことを理由として提起されている事件であるから、部活動における教師による指導のいかなる程度までが正当とされるかが検討されなければならない。

そして、前述のように、部活動は高校の必須科目ではなくいわば同好会組織であり、特に、本件陸上部のようないわゆる体育型部活動においては、時宜に適したしっ責や生徒の身体へ向けた指導は往々にして生ずるものである(熱心さが高潮し、気合いの入ったときは特にそうである。)。

したがって、このような部活動においては、教えを受ける側が教える側からの練成のなかで生ずる多少のしごきや体罰近似の指導を事前に包括的に甘受するという相互了解が黙示的に存在しているといえ、教えを受ける側はそのような危険を引受けあるいは承諾しているものであって、被告山内と花子との間でも同様であるから、仮に被告山内に原告ら主張のようなしっ責あるいは有形力の行使があったとしても、実質的に違法性が阻却されるというべきである。

四  被告らの主張に対する認否

1  被告山内の主張に対する認否

(一) 被告山内の主張1(一)(1)(因果関係の不存在)のうち、花子が以前友人と自殺する約束をしたことがあること、原告美智子が花子の自殺を心配していたこと、花子の祖母が首つり自殺をして亡くなったことは認め、その余は否認ないし争う。被告山内の花子に対する暴行・傷害等が花子の自殺の原因であること、被告山内には花子の自殺について予見可能性があることは既に請求原因に述べたとおりである。

(二) 同1(一)(2)(慰謝料請求権の一身専属性)は否認ないし争う。被告山内は、花子が慰謝料を請求する意思はなかったあるいは右請求権を放棄していた旨主張するが、請求原因で述べたとおり、花子は被告山内を宥怒しておらず、慰謝料請求権を放棄する意思も表示していないし、未成年である同女は右請求権を放棄することはできない。

また、慰謝料請求権は被害者が生前に請求の意思を表明していなくとも当然に相続の対象となるのであり、被害者の主観性が一番強い名誉侵害を理由とする慰謝料請求権でさえ、被害者が死亡したときはその一身専属性を失うことは確定した判例である。したがって、本件のように生命・身体等の侵害を理由とする慰謝料請求権についてはなおさら相続の対象になることは疑いの余地がない。

(三) 同1(二)(1)(社会教育活動と有形力行使の許容性)のうち、被告山内の主張するような学習指導要領及び本件事務次官通達が存在することは認め、その余はすべて否認ないし争う。

次のとおり、部活動は学習指導要領に明確に位置付けられており、特別活動であるクラブ活動と密接不可分の学校教育活動であることは全く疑う余地がない。すなわち、昭和五三年八月に告示された学習指導要領には、「学校においては、特別活動との関連を十分考慮して文化部や運動部などの活動が活発に実施されるようにするものとすること」との記述があり、文部省が刊行している高等学校特別活動指導資料「特別活動をめぐる諸問題」には、右記述をさして「部活動が学校の管理下で、適切な計画と指導の下に充実して行われるべき教育活動であることを明示している。」と指摘しており、さらに、右資料は、部活動については学校が責任を持って運営や指導に当たり、その教育的意義を十分に発揮できるようにすること及び学校が運営し指導するということは、学校が部活動のすべてに関し責任を負うということであるとも指摘しているのである。この点から、学習指導要領が部活動を学校教育活動の一環として位置付けていることは明らかであり、さらに、岐阜県教育委員会(以下「教育委員会」という。)は右学習指導要領を踏まえて、その「教育広報」において、部活動は学校教育活動として明確に位置付けられた旨指摘している。そして、岐阜県下では、学習指導要領及び教育委員会の右指導に基づき、特別活動としてのクラブ活動と部活動を一本化している学校が多いのが現状であり、本件高校においても右指導理念に基づき、部活動全員加入制を採用し、クラブ活動と部活動とを一本化しているものである。以上の事実から、部活動は学習活動と並ぶ重要な学校教育活動であって当然に学校教育法一一条が適用されるのであり、その枠内で考えるかぎり、被告山内の花子に対する執ような暴行・傷害等は違法性が強く悪質なものであるから、同法ただし書にいう「体罰」に当たるというべきで、違法性が阻却されるような事情は何ら存しないことは明らかである。

(四) 同1(二)(2)(正当な懲戒権の行使)は否認ないし争う。前述のとおり、被告山内の花子に対する執ような暴行・傷害等が「体罰」に当たることは明白であり、懲戒権の行使として許容される筋合いのものではない。

(五) 同1(二)(3)(被害者の承諾)も否認なしい争う。前述のとおり花子は被告山内を宥怒していない。

2  被告岐阜県の主張に対する認否

(一) 被告岐阜県の主張2(一)(1)(因果関係の不存在)に対する認否は、前述被告山内の主張に対する認否1(一)と同様であるから、これを引用する。

(二) 同2(一)(2)(公権力行使の希薄性)は否認ないし争う。前述のとおり部活動は学校教育活動の一環であるから、陸上部顧問としての被告山内の行為は「公権力の行使」に該当し、同人の不法行為について被告岐阜県が責任を負うのは当然である。

(三) 同2(一)(3)(慰謝料請求権の一身専属性)に対する認否は、前述被告山内の主張に対する認否1(二)と同様であるから、これを引用する。

(四) 同2(二)は否認ないし争う。本件の被告山内の執ような暴行・傷害等のような悪質な行為を生徒が事前に包括的に甘受するはずがないし、花子は被告山内を宥怒していなことは前述のとおりである。

第三  証拠〈省略〉

理由

第一被告岐阜県に対する請求について

一当事者間に争いのない事実

請求原因1の事実、同2(一)と(二)の事実、本件陸上部におけるやり投げの練習が放課後二、三時間行われていたこと、雨天の日でも練習が行われていたこと(ただし、場所の点を除く。)、花子が一年生のころから他の生徒と共に被告山内の乗用車で登校していたこと、被告山内が女子部員に対し「ブスばかりで。」といったこと、昭和五九年七月二六日から本件陸上部の合宿が始まったこと、その合宿中、食事を必要量とらなかったことで被告山内が花子を強くしかったこと、野田の入退部が同3(六)に記載されたとおりであること、同年八月二日、被告山内が、その前日に自主トレーニングをしないでコンサートを聞きに行ったことを理由に、花子を陸上部の先輩の前でしかったこと、翌同月三日早朝に同女が家出をしたこと、その際、被告山内がその連絡を受け心当たりに連絡をするなどして同女の行方を捜索したこと、同月一四日ころ、被告山内が花子を口頭でしかったこと、同年一〇月八日、日誌をつけなかったことを理由に被告山内が花子のほおを平手でたたいたこと、同年一一月三日、大久野島において、被告山内が、朝寝坊して練習しなかったことを理由に、花子を含む女子生徒六名及び男子生徒七名を正座させ、その際、花子の右大腿部をけったこと、学年末試験で花子が計算実務に不合格になり、その後追試験を受けて合格したこと、昭和六〇年三月二二日、被告山内が花子を体育教官室で説諭したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

二(花子の自殺に至るまでの経緯)

右当事者間に争いのない事実並びに〈書証番号略〉、証人西尾亜紀子、同竹村ゆかり、同鈴村幸宣、同新田美由紀、同早川隆幸、同三好正司、同長瀬隆夫の各証言、原告竹内晨隆、同竹内美智子、被告山内浩の各本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、右認定に反する〈書証番号略〉、証人鈴村幸宣、同新田美由紀、同三好正司、被告山内浩の各供述部分はにわかに信用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

1  (花子の本件陸上部への入部及び活動状況について)

(一) 花子は、小さいころから運動能力に優れ、中学時代には、自らがキャプテンを努めるソフトボール部で捕手をし、市陸上競技大会、東濃大会に駅伝の選手として出場して優勝した経験を持ち、高校入学後は陸上競技を本格的にやってみたいと考え、岐阜県では有数の伝統と実績を誇る本件陸上部に入部することを決意し、自宅の近隣に普通高校があるにもかかわらず、自らの意思で本件高校を選択し、昭和五八年四月に同校に入学すると同時に本件陸上部に入部した。

(二) 花子は、入部後しばらくしてやり投げの選手となったが、たちまち頭角を現し、一年生のときは岐阜県大会新人戦で、二年生のときには県高校選手権大会でそれぞれ優勝し、さらに、昭和五九年一〇月の奈良国体に出場するなどの優秀な成績をおさめ、昭和五九年度におけるやり投げ全国高校生のランキングでは一六位、高校二年生としては全国で三位で高校生のやり投げ選手としてはレベルの高い選手であった。

2  (本件陸上部の活動及び顧問の指導状況)

(一) 本件高校は、伝統的に運動部の活動が盛んで、同校の教育方針としても、学習活動と部活動を二つの大切な柱とするという建前をとり、生徒の部活動への全員参加を原則としていた。また、本件高校に入学する生徒は、花子のように、学習活動よりもむしろ部活動に重点を置き、特定の部活動を行うことを目的として入学する者が多かった。

(二) 本件陸上部の当時の部員数は約四〇名で、そのうち女子は一三名ないし一五名であった。また、本件陸上部の顧問は、昭和五八年から昭和六〇年三月までの期間については、本件高校の保健体育担当の教諭でもあった被告山内及び同じく同校の教師であった訴外三好正司(以下「三好教諭」という。)の二人であったが、両者にはそれぞれ顧問としての役割分担があり、被告山内が陸上部全般と女子の指導、種目としては主に投てき、跳躍という部門を受け持ち、三好教諭が男子の長距離及び駅伝といった部門を受け持っていた。したがって、やり投げの選手であった花子は、はじめから被告山内の指導を受けていた。

(三) 本件陸上部は、過去、県大会での優勝者はもちろん、全国大会や国民体育大会に出場するような優秀な選手を数多く輩出し、岐阜県でも高いレベルの陸上競技部であるという実績と伝統を持っていたこと及び被告山内ら顧問の指導方針もあって、練習は他の運動部に比べて厳しく、部活動の練習時間は、始業前は午前七時三〇分から午前八時一〇分までの約四〇分間、放課後は午後四時から、冬期は午後六時三〇分ころまでで、夏期は午後七時ころまでの約二、三時間の外に、休日も欠かさず練習があり、土曜日は午後二時から午後五時くらいまで、日曜日は午前一〇時から午後五時までという状況で、ほとんど毎日が練習であった。このように、毎日の練習が朝早くから夜にまで及んだため、部員は、顧問である被告山内と三好教諭の自家用車に分乗して登下校することが多く、花子も近所の部員と共に被告山内の自家用車で登下校していた(ただし、下校については、電車を利用することも少なくなかった。)。

(四) また、本件陸上部では、単に練習が厳しいだけではなく、生活指導の面でも厳しく、部員がつけるべき日誌としてブロック日誌と個人日誌とがあり、部員は日誌を毎日付けることが厳しく義務付けられていたばかりか、その他に精神鍛練と称して、顧問の教師の自家用車を洗車したり、運動着を洗濯したりさせられていた。

(五) さらに、陸上部顧問の被告山内及び三好教諭の生徒に対する指導は厳しく、練習中、生徒が少しでも気を抜くと大きな声で怒鳴るばかりか、時には、平手で生徒をたたくこともあった。

(六) そして、前述のように、花子は優勝経験を持つ優秀な選手であったため、被告山内の期待も高く、それだけに、その練習方法、練習量及び生活指導のいずれにおいても他の部員より厳しい指導を受けていた。

3  (被告山内の性格及び本件高校の生徒に対する言動)

(一) 被告山内は、自らも高校生時代に投てきの選手として厳しい練習に耐え、全国大会及び国民体育大会等で優勝するなどの優秀な成績を残し、その後も選手として陸上競技を続けていたこともあって、陸上競技における練習方法、生活態度及びその指導方法についてある種の強い信念を持っており、そのような信念に基づいて生徒の指導にも大変熱心であったが、性格的には攻撃的で、激情に走りやすく、自分の気に入らないことがあると口頭で注意するのみか有形力の行使に出ることが多く、例えば、陸上部のキャプテンが被告山内の指導を適切に他の部員に説明していないというだけでほおを平手でたたいたり、生徒が練習中精神的に弛んだりあるいはよい記録が出ないと大声で怒鳴るばかりでなく、平手でほおをたたいたり、持参していた竹の棒(長さ約2.40メートル、直径一ないし二センチメートル程度のやり投の練習に使用する物)で背中、腰あるいは頭などをたたいたりすることがしばしばあったばかりか、部員の生活指導の面においても、日誌をつけなかったとして女子部員を竹の棒でたたいたり、合宿中、被告山内の洗濯物を取りにこなかったとして女子部員のほおを上唇が切れるほど平手でたたくということもあった。

(二) また、被告山内は、自らの指導する陸上部の女子部員に対して思慮の足りない発言が多く、少なくとも、花子及び同女と同学年で本件陸上部の円盤投げと砲丸投げの選手であった訴外竹村ゆかり(以下「竹村」という。)に対しては、練習中よい記録が出ないと、しばしば「ブス」「おまえは使いものにならない。」「陸上部に必要ない。」「陸上部をやめよ。」などと発言することがあった。

(三) さらに、被告山内は、前述のように、本件高校の体育担当の教師であったが、教師としても生徒に対する体育の授業及び生活指導の面で厳しく、本件高校の生活指導の際に生徒に有形力を行使することがしばしばあり、例えば、入部の勧誘を断わった女子生徒を体育教官室で正座させ金属の棒で頭部をたたいたり、陸上部を退部すると共に退学することを決意した生徒を翻意させようとして手拳で顔面を殴打したり、校門検査で、髪をカールしていたりあるいはタクシーで通学してきた生徒の頭を髪の毛が抜けるほど引っ張ったりあるいは竹刀でたたくなどといったいきすぎた懲戒行為を頻繁に行っており、中には、被告山内に髪の毛を捕まれたまま体育教官室や体育館を引きずり回された結果、頚部捻挫、腰臀部打撲等で二〇日間の加療を要する傷害を受けた女子生徒もいた。

(四) このような被告山内の生徒に対する言動は、本件高校においてはいわば公知の事実であり、同校の生徒らは、被告山内を非常に恐れていたばかりか、このような被告山内の指導方法を含む体育教官の教育方法については昭和六〇年三月一二日の職員会議でも問題になり、出席した教師の中から「生徒にとって、威圧、体罰と受け止められるようなことは絶対にやめるべきだ。」「異常な学校という印象をもった。」「本件高校から、暴力を追放する、体罰とか一切、手を出さないことをこの場できちんと意思統一すべき」という発言が飛び出すような状況であった。

4  (被告山内の花子に対する言動)

(一) 昭和五八年八月一〇日、被告山内は、練習中の花子に対し、「もうやらなくていい。」といい、翌同月一一日には、「おまえはばかだから。何度いったらわかるんや。やめろ。」といった。さらに、同年九月一六日、花子が腰が痛いのを顔に出したとして「やめていけ。」と怒鳴ったので、このとき、花子は、他の部員の前で「やらせてください。」といって土下座して被告山内に謝った。

(二) 花子は、昭和五九年二月中旬ころから右足に疼痛を覚えたので、同年三月六日、訴外小塚勝久医師に診察してもらったところ、右第二中足骨の疲労骨折と診断され、同医師から、二か月間練習をしないようにいわれ、以後、同月一六日、同年四月七日と通院していたが、同月三月七日に、花子が疲労骨折のことを被告山内に話したにもかかわらず、同人は、医師の診察を無視し、花子に対し、やり投げ、変形ダッシュ及びフロートといった足を使う練習を続けさせた。

(三) 同年五月一六日、被告山内は、他の陸上部員が病院に行くことを花子が知りながらそれを止めなかったことに関し、「痛いときに痛いかと聞くのではなく、一日でも練習を休ませないのが本当のおもいやりだ。」などと申し向け、「練習をみない。」といった。

(四) 本件陸上部では、昭和五九年七月二六日から、本件高校の第二グラウンドにある合宿所において合宿をはじめたが、その合宿の三日目である同月二八日、被告山内は、花子、竹村及び訴外伊藤知子(以下「伊藤」という。)の三名の女子部員が昼食時ご飯を一杯しか食べなかったことに立腹し、右三名を床に正座させたうえ、手に持っていた竹の棒で、同女らの頭部を数回ずつたたいた。その際、竹の棒は竹村の頭部をたたいていたときにその衝撃で割れて飛び散り、最後には、同女らは泣きだしてしまった。その後、竹村は六杯、花子は五杯、伊藤は四杯、それぞれ無理してご飯を食べた。

(五) 同年八月一日、その日は合宿直後の夏休み中の日曜日であり、本来登校して自主トレーニングをすることになっていたが、花子と竹村は、被告山内に無断で、多治見市まで映画を見に行き、さらにその後訴外長谷川幸世(以下「長谷川」という。)と合流して、恵那市の文化会館で開催されていたコンサートに出かけ、夜遅く帰宅した。しかし、そのことは直に被告山内に発覚するところとなり、翌同月二日、被告山内は、陸上部の先輩らの前で、その件に関し花子を厳しくしかり、その際「もう練習をみてやらない。」といった。花子は、そのことを大変気に病み、翌同月三日早朝、先生や親の期待を裏切ったから反省の意味で遠くへ行ってくる旨の両親宛及び竹村宛の手紙を残して家出をした。心配した原告ら、花子の友人及び被告山内が花子の行方を探すという事態になったが、結局、花子はその日のうちに帰宅し、その後、両親らの説得で同月七日から陸上部の練習に復帰した。

(六) ところが、今度は、花子の一年後輩で同女の推薦で本件陸上部に入部した野田が家出をするという事件が起こった。その家出は、厳しい陸上部の練習から自由になりたいということがその原因であって何ら花子の責任ではなかったが、その後、花子が野田の母親に頼まれて被告山内に野田は風をひいて寝ているだけだと虚偽の報告をしたことが発覚したこともあって、被告山内は、野田が練習に出てこなくなったのは花子の責任であると決め付け、同月一一日、体育教官室で、そのことで約二時間にわたって花子を責め立てたので、花子はその場で土下座をして謝った。責任を感じた花子は、その後も、退部しないように何度か野田の説得を試み、同月一三日には無断で陸上部の練習を休んでまでも野田に面会し説得を続けたが、結局、野田は退部した。

(七) 翌同月一四日、被告山内は、前日花子が無断で練習を休んだこと、野田の退部の件及びやり投げの記録が伸びないなどの理由で、第二グラウンドで練習中の花子の頭部を、ジュラルミン製の試合用のやりで数回たたいた。その結果、花子の頭部は幅二ないし三センチメートル、縦一〇センチメートルにわたり腫れ上がった。

(八) 奈良国体を間近にした同年一〇月八日、被告山内は、花子がなかなか記録が伸びないにもかかわらず反省の日誌をつけなかったことに激怒し、体育館で、同女の顔面を少なくとも二回殴打した。そのため、花子の左目のあたりは紫色に変色し、右のほおのあたりも赤く腫れ上がった。

(九) 同月二三日、被告山内は、花子のフォームが定まらず、また、一年生のころに比べて記録が伸びないことなどから、「のらくらでぐず。」「心の中が腐っている。」「猿の物まねしかできない。」などといった。

(一〇) 花子を含む本件高校の二年生は、同年一一月二日から同月五日まで、広島県の大久野島方面への研修旅行に行っていたが、その二日目の同月三日、被告山内は、研修旅行に参加していた陸上部員が朝の練習を怠ったことに立腹し、男子七名及び女子六名の部員を宿泊先の旅館の玄関に正座させ、その際、研修旅行前に右旅行に参加せず学校に残って練習することを申し入れていた花子及び訴外新田美由紀(以下「新田」という。)の両名を足でけった。特に花子に対しては、被告山内は、正座している同女の右大腿を、その衝撃で同女の体が左に約九〇度も回転してしまうほど数回強くけった。そのため、花子の右大腿部には、長径約七センチメートル、短径約五センチメートル程度の青あざができた。

(一一) 昭和六〇年一月三一日、被告山内は、花子が日誌を提出しなかったといってしかり、翌同年二月一日には、陸上部におかないといって練習に参加することを禁止した(ただし、被告山内は翌同月二日には花子が練習に参加することを許している。)。

5  (昭和六〇年三月二二日の状況及び花子の自殺について)

(一) 花子は、昭和六〇年三月九日から同月一三日にかけて実施された学年末試験において、計算実務という科目で欠点をとったので、終了式の前日にあたる同月二二日の午前中に、右科目の追試験を受けた。花子はその試験に辛うじて合格したが、一五問中三問しか正解することができなかった。

(二) その後、同日午前一一時ころ、花子は、任意に体育教官室に行き、追試験の結果を被告山内に報告したが、同人は、花子を直立させたまま、勉強の成績が悪いことや計算実務の勉強に関し担当の教師に聞きに行かないで別の教師に聞きに行ったことなどについて、大声で同女を怒鳴りつけるなどして、同日午後〇時過ぎまで説諭した。その間、被告山内は、やり投げの練習をさせないなどと花子に申し向けたので、花子は、グラウンドの片隅ででもいいから練習をさせてほしい旨懇願したが、結局、被告山内は花子が練習に参加することを認めなかった。

(三) その後、花子は昼食もとらずに、同日午後一時過ぎころから理科準備室において、花子の担任の長瀬教諭と話をしたが、その際、花子は、被告山内にしかられてつらかったこと、もう同人にやり投げの面倒を見てもらえないことなどを話し、かなり気を落として涙を流していたので、長瀬教諭は、やり投げをやりたい気持ちがあるならその旨を被告山内にはっきりと伝えてくるように促すなどして、花子と同日午後二時過ぎころまで話していた。

(四) そこで、花子は、同日午後三時半ころ、再び体育教官室に行き、被告山内に対し練習に参加させてくれるように懇願した。しかし、被告山内は、花子が今回の追試験で一五問中三問しか正解することができなかったことなどを理由に同女を直立させたままなおも説諭を続け、その際、「おまえは、おれがいじめているとか、そういうことを親に告げ口しているだろう。」などといって同女を責め立てた。その間、花子は、舌が紫色に変色するほど歯を食いしばって被告山内の説教に耐えていたが結局、被告山内は、花子が間近に迫っていた合宿等の練習に参加することを許可することなく、「お前なんかもう知らん。おまえの顔など見たくない。」などといって、同日午後五時過ぎに退出した。

(五) その後、花子は三好教諭と少し話した後、再び長瀬教諭のところへ行き、これから被告山内の家に行く旨伝えると、同日午後六時ころ、体育教官室における被告山内の花子に対する説諭の様子をみて同女を心配して待っていた訴外西尾亜紀子(以下「西尾」という。)と一緒に下校した。下校途中、花子は、西尾に対し、陸上部には戻れないかも知れないとか、家に帰ってからもう一度被告山内の家へ謝りに行くなどと話し、かなり落ち込んだ様子であった。

(六) 花子は、帰宅してからもひどく落ち込んだままほとんど話をすることなく、夕食もとらずに自室に引きこもった。同日午後一〇時ころ、心配した原告晨隆が、花子の部屋に同女を慰めに行ったが、その際、花子は、明日被告山内の謝りに行く旨話す程度で、後はただ涙を流すばかりであった。原告晨隆は同日午後一一時ころ退室したが、その後、結局、花子は全く食事をとらずに電気を消して床についた。

(七) そして、翌同月二三日午前五時三〇分ころ、原告美智子が、花子を起こすために同女の部屋に入ったとき、首をつって自殺している花子を発見した。同女の死亡推定時刻は同日午前三時ころである。

三(被告山内の花子に対する不法行為の成否について)

1  部活動における教師ないし顧問の懲戒行為の違法性について

(一) 被告岐阜県は、被告山内の花子に対する言動の違法性に関し、部活動が高校の必須科目ではなくいわば同好会組織であることを前提としたうえ、本件陸上部のような体育型部活動においては、教える側と教えを受ける側との間に、練成の中で生ずる多少のしごきや体罰近似の指導を事前に包括的に甘受するという黙示の相互了解があり、したがって、そのような指導から生ずる危険を生徒は事前に引受けないし承諾しているのであるから、仮に原告らが主張するようなしっ責あるいは有形力の行使があったとしても違法性が阻却される旨主張するので、以下、この点について検討する。

(二) まず、高校における部活動の位置付けについて検討する。

学校教育活動に関し、学校教育法施行規則五七条は、「高等学校の教育課程は、別表第三に定める各教科に属する科目及び特別活動によって編成するものとする。」と定め、さらに、同施行規則五七条の二において「高等学校の教育課程については、この章に定めるもののほか、教育課程の基準として、文部大臣が別に公示する高等学校学習指導要領によるものとする。」と規定し、高等学校の教育課程の範囲は、別表第三に定める各教科に属する科目、特別活動及び学習指導要領によることが定められている。ところで、〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、昭和五三年文部省告示による学習指導要領には、クラブ活動は特別活動として明確に規定されているものの、いわゆる部活動については明確には規定されておらず、したがって、いわゆる部活動は特別活動としてのクラブ活動とは異なるものされていること、このように、クラブ活動は、教育課程の基準中に位置付けられているので、通常、週の時間割の中に組み込んで全生徒が活動するのに対して、部活動は、主に放課後に、主として希望する生徒だけが活動するようになっていること、しかしながら、部活動とクラブ活動とは、共に、興味や関心を同じくする生徒が、学年やホームルームの所属を離れて、集団を組織し、その集団を単位に活動するものである点で、両者の基本的な性格や指導原理は同じであるばかりか、部活動が、中等教育の発足以来今日に至るまでの長い歴史を通して、常に学校の正規の教育課程の枠外に置かれていたにもかかわらず学校における活動として存続発展してきた理由はその教育的な意義が高く評価されたからであること、この部活動が持つ教育的な意義は、共通の興味や関心を軸として自発的に集まった同好の生徒が、共通の目標を追及する努力と精進を重ね、互いに切瑳琢磨し合うと共に協力し合う中で、教師、先輩、後輩などの間に密接な人間関係を築き上げ、自己の能力の限界まで出し切るような厳しい体験を通して、人間としての資質や能力を培うことを期待できることにあると思われること、したがって、部活動は、週一、二単位時間のクラブ活動では満たすことのできない生徒の積極的な要求を満たすために、共通の興味や関心のより深い追及を可能ならしめる活動として、クラブ活動とは違った教育的意義と需要性を有していること、そこで、前記昭和五三年八月文部省告示による学習指導要領においても、特別活動第三の三の(5)において、「学校においては、特別活動との関連を十分考慮して文化部や運動部などの活動が活発に実施されるようにするものとすること」と示し、これらの規定を受けて、昭和五七年当時、全国のかなりの学校において部活動の全員参加を原則とし、岐阜県下の高等学校では、クラブ活動と部活動を一本化している学校が多く、本件高校でも、部活動を学習活動と並ぶ学校教育活動の大切な柱として定義していること、さらに、平成元年三月告示による新学習指導要領では「なお、部活動に参加する生徒については、当該部活動への参加によりクラブ活動をした場合と同様に成果があると認められるときは、部活動への参加をもって、クラブ活動履修の一部、又は全部の履修に替えることができる。」と規定し、学校教育活動としての部活動の位置付けをより鮮明に打ち出していることが認められる。

以上の認定によれば、部活動は、クラブ活動とは異なり、特別活動そのものではなく、したがって、教育活動の基準中に位置してはいないが、学校の管理下で適切な計画と指導の下に行われるべき教育活動であり、少なくとも、特別活動であるクラブ活動と密接不可分の学校教育活動であるというべきであって、単なる同好会組織とする被告岐阜県の主張は採用できない。

(三) そこで、次に部活動における教師あるいは顧問の懲戒行為について検討するに、前記認定のように、部活動が学校教育活動である以上、部活動における教師あるいは顧問の指導ないし懲戒行為についても、学校教育法一一条ただし書が適用され、部活動で行われる「体罰」ないし正当な懲戒権の範囲を逸脱した行為は違法というべきである。ただし、部活動には、クラブ活動とは異なり、学習活動やクラブ活動にはないある種の厳しさが存在することも確かであり、部活動に参加する生徒もそのような厳しさを求めて参加することもあると思われる。しかしながら、前述の部活動の教育的意義に鑑み、そこにいう部活動の厳しさとは、生徒各人がそれぞれ自己の限界に挑むという汗まみれの努力を通して、より深い人間的つながりを形成しながら、それを基盤として助け合い、励まし合う中で、生徒が自己の限界に厳しく取り組み、それを自分の力で克服していくという意味の厳しさであって、決して、指導者の過剰なしっ責やしごき、無計画に行われる猛練習や長時間の練習といったものを意味するものではないというべきである。したがって、高等学校における部活動では、特別活動であるクラブ活動とは違った意味での厳しさがあり、それゆえに教育課程における教師と生徒の関係とは異なった側面が存在するとしても、被告岐阜県が主張するような、多少のしごきや体罰近似の指導を事前に生徒が包括的に甘受するといった相互了解があると認めることは到底できず、また、そのような相互了解があってはならないのであって、仮に部活動に参加する生徒が具体的にそのような指導を自ら承諾していたとしても、それが、学校教育の場で行われかつ学校教育法一一条ただし書に規定されている「体罰」ないし正当な懲戒権の範囲を逸脱した行為である以上、違法との評価を免れるものではないと解すべきである。

(四) ところで、何が学校教育法一一条ただし書に規定されている「体罰」に当たり、正当な懲戒権の範囲を逸脱した行為にあたるか否かについては、当該生徒の性格、年令、行動、心身の発達状況及び非行の程度等、諸般の事情を総合考慮して、指導者の言動により予期しうべき教育的効果とそれによって生徒が被るべき権利侵害の程度とを比較して決する以外にないが、少なくとも、殴る、けるなどの身体に対する侵害はもちろんのこと、罰として正座、直立など特定の姿勢を長時間にわたって保持されるなど、生徒に肉体的苦痛を与えること及び食事をとらせずに特定の部屋に長時間留めておくことなどは「体罰」ないし正当な懲戒権の範囲を逸脱した行為として、違法であるというべきである。

2  以上の一般論及び前記認定の事実を総合考慮して、次に、原告らが請求原因3で主張する被告山内の花子に対する言動について、その違法性の有無を検討する。

(一) 請求原因3(一)について

被告山内が、花子に対し、しばしば面と向かって「ブス」といっていたことは、前記認定のとおりである。これに対し、被告岐阜県は、被告山内は陸上部のOBの前で「ブスばかりで。」と冗談でいったにすぎない旨主張し、右主張に沿う被告山内浩本人の供述もあるが、証人竹村ゆかり、同新田美由紀の各証言に照らし、被告山内が、花子を含む練習中の女子部員にしばしば面と向かって「ブス」といっていたことは明白である。また、被告岐阜県は、「ブス」という表現は、同人の選手らに対する愛情の逆の表現であり侮辱の言葉ではない旨主張する。確かに「ブス」という表現も、その発言された状況あるいはその場の雰囲気によって、それが相手に対する侮辱的な表現とは受け取られないこともまれにあるとは思われるが、「ブス」という表現は、一般的には相手の容貌に対する侮辱的な表現でしかないこと、被告山内は選手の練習中に面と向かって発言しているが、それが、陸上競技における選手の能力ないし技能とは何ら関係がないこと、花子が一七歳という多感な思春期の少女であることを考えると、右表現は前述した部活動における厳しさとは全く無縁のものであって、単なる生徒を侮辱する発言であり、教師あるいは陸上部顧問の発言としては、極めて不適切であるといわざるを得ない。

(二) 同3(二)について

被告山内が、花子に対し、請求原因3(二)に記載された内容の発言をしていたことは前記認定のとおりである。これらの表現は、前述の部活動における厳しさとは全く無縁のものであり、単に生徒の人格を傷付け、自尊心を損なうだけの表現である。特に、「のらくらでぐず。」「心のなかが腐っている。」「猿のものまねしかできない。」という表現は、前述の「ブス」と同様に侮辱的な表現であり、不適切との非難を免れない。また、前記認定のように、花子は本件陸上部で陸上競技に打ち込むために本件高校に入学してきたのであるから、そのような生徒にとって指導者から陸上部をやめろといわれることがどれほど精神的苦痛を与えるものであるかは、花子が被告山内からそのようにいわれた際土下座して謝ったことなどからも容易に推認しうるところである。

なお、土下座という行為がいかに屈辱的な行為であるかは多言を要しないのであって、本件の場合、たとえ花子が許しを乞うため自発的に土下座したものとしても、そのような生徒の土下座を容認し、生徒がそうしなければ許さないという被告山内の姿勢そのものが、もはや教育的配慮の全く欠けた、極めて不適切な指導方法という以外にない。

(三) 同3(三)について

この点に関する原告らの主張については、被告山内が花子の頭部をやりで頻繁にたたいたとする日時が特定できないばかりか、本件全証拠をもってしても、練習中、花子が被告山内に頻繁にやりでたたかれたことを認めるに足りる証拠はない。

(四) 同3(四)について

昭和五九年三月当時、花子の第二中足骨が疲労骨折していたことは前記認定のとおりである。これに対し、被告岐阜県は、当時の花子の練習量と内容からみて同女の右足に疲労骨折が起こっていた可能性はない旨主張するが、花子の第二中足骨が疲労骨折していたことは〈書証番号略〉に照らし明白であって、本件全証拠をもってしても右書証に反する事実を認めることはできない。

そして、医師が疲労骨折と診断しているにもかかわらず、専門医でもない陸上部の顧問がそれを無視して練習を続けさせることが陸上競技の指導として不適切であることはいうまでもないことである。

しかしながら、本件の場合、被告山内が花子にそのような練習を強要したのか、それとも花子が自発的に練習を行ったのかは必ずしも明らかではなく、少なくとも、被告山内が練習を拒否する花子に対し強制的に練習を続けさせたと認めるに足りる証拠はない。したがって、この点に関し、被告山内の指導が違法であったと認定するのは相当ではない。

また、昭和五九年五月一六日に、他の陸上部員が病院に行くのを花子が制止しなかったことに関し被告山内が同女をしかった点についても、たとえそのような指導が不適切であっても、それは指導方法の当否の問題であって、花子をしかったこと自体は違法というほどのものではないと考えられる。

(五) 同3(五)について

昭和五九年七月二八日、被告山内が、正座している花子の頭部を竹の棒で数回たたいたことは前記認定のとおりである。この点、被告岐阜県は、被告山内がそのとき花子の頭部を竹の棒でたたいたこと自体を否定し、右主張に沿う被告山内本人の供述もあるが、同人がそのとき花子の頭部を竹の棒でたたいたことは、証人竹村ゆかりの証言により明らかであり、たたいた回数及びその程度は異なるものの証人三好正司も認めるところであって、これに反する右被告山内の供述は信用できない。

なお、被告岐阜県は、その際、竹の棒が割れて飛び散ったことを認めながらも、それは被告山内が机をたたいたときに飛び散ったものであって生徒の頭部をたたいたことによるものでない旨主張し、右主張に沿う証人三好正司の証言及び被告山内本人の供述もあるが、証人竹村ゆかりの証言並びに前記認定の被告山内の日頃の生徒に対する暴力の実体に照らし、右供述は信用することができない。そして、いかに陸上競技選手にとって栄養の摂取が重要であるといっても、高校の部活動において、生徒がご飯を一杯しか食べないというだけで顧問の教師が生徒を正座させたうえ、その頭部を竹の棒で強打するという行為は異常というほかなく、それが違法な体罰であることは疑いを入れる余地がない。

(六) 同3(六)について

昭和五九年八月一一日、被告山内が、野田の退部に関し、花子を約二時間にわたり責め立てたこと、その際、花子が土下座したことは前記認定のとおりである。土下座に関しては前記2(二)において述べたところと同様であり、極めて不適切な指導方法というべきであるばかりか、単に後輩が練習の厳しさについていけなくなって自主的に退部したことに関し、その先輩である花子の責任であるとして約二時間にもわたって説諭すること自体長時間にわたる身体的拘束であって、もはや正当な懲戒権の範囲を逸脱した違法な身体の拘束といわざるを得ない。

(七) 同3(七)について

昭和五九年八月一四日、被告山内が、ジュラルミン製の試合用のやりで花子の頭部を腫れるほどたたいたことは前記認定のとおりである。この点、被告岐阜県は、右同日、被告山内が花子を口頭でしかったことはあっても試合用のやりでたたいたことはない旨主張し、右供述に沿う被告山内本人の供述もあるが、証人竹内ゆかり、同早川隆之の各証言及び原告らの各本人尋問の結果に照らし、右供述はにわかに信用することができない。そして、花子の責任ではない野田の退部の件や練習中の記録が伸びないとの理由で、女子生徒の頭部をジュラルミン製の試合用のやりで腫れるほどたたくという行為が違法な体罰であることは疑う余地がない。

(八) 同3(八)について

昭和五九年一〇月八日、反省の日誌をつけなかったとして、被告山内が花子の顔面を殴打したことは前記認定のとおりである。この点、被告岐阜県は、平手で一回たたいたことは認めるものの、殴打の回数及び花子の顔面が腫れ上がったことを否認するが、殴打の回数はともかく、顔が腫れ上がったこと及びその状態については、〈書証番号略〉の花子の日誌、証人早川隆幸の証言及び原告らの各本人尋問の結果に照らし明らかであり、前記認定のとおり、花子の顔面が左右とも腫れ上がっていることからすれば、その際、被告山内は花子を少なくとも二回は殴打したものと認められる。このような被告山内の行為が違法な体罰に該当することは疑う余地がない。

(九) 同3(九)について

昭和五九年一一月三日、研修旅行中、被告山内が、朝の練習をしなかったとして、正座している花子の右大腿部を同女の体が左に約九〇度も回転してしまうほど強くけったことは前記認定のとおりである。この点、被告岐阜県は、このとき被告山内が花子の右大腿部をけったことを認めながら、その回数及び程度について、被告山内はつま先で軽く一回けったにすぎない旨主張し、右主張に沿う被告山内本人の供述もあるが、証人竹村ゆかり、同早川隆之の各証言及び原告らの各本人尋問の結果並びに前述した被告山内の性格及び日頃の生徒に対する暴力の実体に照らし、到底信用することはできない。

いずれにしろ、研修旅行先において朝の練習をしなかったという理由のみで、正座させたうえ生徒の大腿部をけることが違法な「体罰」に該当することは疑う余地がない。

(一〇) 同3(一〇)について

昭和六〇年三月二二日、被告山内が、追試験の成績等に関し、花子を直立させたまま、午前中約一時間、午後約一時間三〇分の長時間にわたって説諭したことは前記認定のとおりである(なお、原告らは、この間、被告山内は花子に暴力をふるった旨主張するが、右主張に沿う〈書証番号略〉及び原告ら本人尋問の結果は、〈書証番号略〉に照らしにわかに信用できず、他に右主張を裏付ける証拠はない。)。

そして、本件では、いずれの場合も花子が自発的に体育教官室の被告山内のところへ赴いたものであって、被告山内が同女を呼び付けたものではないことが認められる。しかしながら、そうであったとしても、被告山内が花子を説諭した主な理由は追試験の成績がよくなかったこと及び計算実務の担当の教師に聞きに行かずに他の教師に聞きに行ったことであると認められるが、そのいずれの理由も懲戒の対象になるようなものではないこと、その際、被告山内は花子に対し、直立という特定の姿勢を連続して長時間保持させたまま、執ように怒鳴るなどして説諭を続けたことを総合考慮すると、右被告山内の行為は、もはや正当な懲戒権の行為を逸脱した違法な懲戒行為であるといわざるをえない。

(一一)  請求原因3についての判断は以上のとおりであり、前記認定の被告山内の花子に対する言動のうち、前記(五)の昭和五九年七月二八日の有形力の行使、前記(七)の同年八月一四日の有形力の行使、前記(八)の同年一〇月八日の有形力の行使及び前記(九)の同年一一月三日の有形力の行使はいずれも明らかに体罰であり、しかもその違法性も相当強く、また、前記(六)及び(一〇)の各身体の拘束は正当な懲戒の範囲を超えた違法な身体的拘束である。そして、前記(1)及び(2)の被告山内の花子に対する侮辱的発言については、それぞれについて単発的な発言ととらえるのは妥当ではなく、前述の身体に対する侵害とも併せて一連の連続した行為ととらえて評価するのが相当であり、そのように解する限り、このように執ような侮辱的発言は花子の名誉感情ないし自尊心を著しく害するものであって違法行為に該当するというべきである。

以上により、これら被告山内の花子に対する侮辱的発言や体罰等は、被告山内の故意又は過失に基づく、本件高校の教師ないし陸上部顧問としての違法行為であると認めるのが相当である。

四(被告山内の行為と花子の自殺との因果関係について)

1 花子が、昭和六〇年三月二三日早朝に自殺したことは、前記認定のとおりであり、右認定に反する証拠はない。そして、原告らは、右花子の自殺による死亡が前記三において認定した被告山内の違法行為に起因し、その間には相当因果関係がある旨主張するので、次に、この点について検討する。

2  ところで、前述のように、被告山内の花子に対する言動が違法行為であるとしても、被告岐阜県が花子の死亡に対して損害賠償責任を負うというためには、右被告山内の花子に対する違法行為と花子の自殺との間に相当因果関係の存在することが必要であり、また、不法行為による損害賠償についても民法四一六条の規定が類推適用されるというべきであるから、特別の事情によって生じた損害については、加害者において右事情を予見することが可能であった場合に限り、賠償の責めを負うものと解すべきである。

3 そこで、まず、花子の自殺の原因について検討するに、前記二5において認定した花子の自殺した前日である昭和六〇年三月二二日の状況、つまり、同日の体育教官室における被告山内の午前中約一時間及び午後約一時間三〇分、合計約二時間三〇分にわたる違法な身体的拘束の下での説諭、その際あるいは長瀬教諭と話合いをしていたときの花子の落胆した様子、特に同女が被告山内の説諭の際に舌が変色するほど歯を食いしばって悔しさを我慢していたこと、下校途中で西尾に対し、「もう陸上部に戻れないかもしれない。」「家に帰ってからもう一度被告山内の家に謝りに行ってくる。」などと漏らしていたこと、帰宅後、食事もとらずに自分の部屋に引きこもってしまったことなど当日の一連の状況を考慮すると、その時間的接着性の程度及び内容から考えて、右同日の被告山内の花子に対する長時間に及ぶ違法な身体的拘束下での説諭、特に、被告山内が最後まで花子を許さず、陸上部の練習に参加することを認めなかったことが、花子の自殺の原因であり、その間には条件関係があると考えるのが相当である。

もっとも、前記認定のような、昭和六〇年三月二二日以前の被告山内の度重なる侮辱的発言や体罰が花子の自殺の直接の原因であるかどうかについては、これら被告山内の花子に対する言動と花子の自殺との間にはかなりの時間的な隔たりがあること、〈書証番号略〉、原告竹内晨隆、同竹内美智子の各本人尋問の結果によれば、被告山内の花子に対するそれら度重なる侮辱的発言や体罰の後も、花子は一応普通に日常生活を送っており、本件陸上部の練習にも参加していたこと、特に自殺の二日前の同月二一日に花子は両親に対し、今年はインターハイに出場する旨の将来の抱負を語り、近所の小学校のグラウンドで自主練習に励んでいたことが認められ、以上のことを考慮すると、被告山内のそれら侮辱的発言や体罰自体が花子の自殺の直接の原因であるとは認め難いといわざるをえない。ただし、一連の被告山内の花子に対する度重なる侮辱的発言や体罰の蓄積が花子の自殺の遠因になっていることは〈書証番号略〉の文言から容易に推認しうるところである(なお、〈書証番号略〉については、花子がいつそれを作成したものであるかは証拠上必ずしも明確ではないといわざるをえないから、〈書証番号略〉の存在から直ちに被告山内の花子に対する一連の侮辱的発言や体罰の蓄積が自殺の直接の原因であると判断するのは相当ではないというべきである。)。

以上のとおり、花子の自殺による死亡は、被告山内の同女に対する体罰ないし侮辱的発言を遠因とし、昭和六〇年三月二二日の被告山内の花子に対する説諭により誘発されたものであると認めるのが相当である。

4  しかしながら、自殺という行為は、その原因が何であれ、最終的には本人の意思決定による行為であるから、本人の性格及び意思の強弱によって決定的に左右されるといわざるをえないところ、特に本件においては、〈書証番号略〉、証人竹村ゆかりの証言、原告竹内美智子の本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、本件高校入学直後に実施された性格検査において、花子は、自分の性格、能力及び容姿について悩みをもっており、死んだほうがましだとときどき思うとか、ほんとうに自殺しようと思うときがあるなどと回答していたこと、花子と竹村は、既に高校一年生のときに高校三年生の夏に一緒に自殺しようと話し合っており、少なくとも竹村は本気で約束したという認識をもっていたこと、昭和六〇年二月末ころ、花子はタオルでの自殺の仕方を母親である原告美智子に執ように聞いており、花子の自殺を心配した原告美智子が竹村に相談したことがあったこと、花子は男子のような肉付きの自分の体型を気にしていたこと、二年生の二学期ころから学科の成績が下がっていたことや被告山内や両親の期待するほどやり投げの記録が伸びないので悩んでいたこと及び花子が自殺する直前に書いたと思われる個人的な日誌(〈書証番号略〉)の三月二二日欄にも自殺の原因を窺わせるような明確な記載がないこと、以上の事実が認められ、これらの事実を総合すると、花子は、自殺を志向しやすい性格で以前から自殺について強い関心を持ち、しかも思春期の少女として多くの悩みを抱えていたことも事実であり、結局、被告山内の言動に加えて、これら複数の原因が複雑に絡み合った状況で花子は自殺を決意したとみるのが相当であるから、必ずしも昭和六〇年三月二二日の被告山内の花子に対する説諭あるいはそれ以前の侮辱的発言及び体罰のみが唯一の自殺の原因であると断定するのは相当ではないというべきである。

5  さらに、陸上部顧問ないし教師の体罰ないし懲戒によって生徒が自殺するということは極めて特異な出来事であって、通常生ずべき結果ではないというべきであるから、花子の死の結果についても賠償義務があるというためには、被告山内が、行為当時、花子の自殺という結果について予見可能であったことを要するというべきところ、前述のように、自殺という行為は最終的にはその人の意思決定によるものであるから、人がどのような事態を直接的な契機として自殺を決行するに至るかを第三者が認識することは極めて困難であるばかりか、本件においては、本件の現れた全証拠をもってしても、被告山内が、前記認定の花子の個人的な特殊事情を把握していたとは認められないこと、昭和六〇年三月二二日の説諭の際に違法な身体の拘束があったことは事実であるが、その際、被告山内が花子に対して体罰を加えた証拠はないから、従前の被告山内の花子に対する言動と比較して、このときの言動が突出して強烈なものであったわけではないことを考慮すると、被告山内が、昭和六〇年三月二二日の説諭の際に、自己の花子に対する行為が同女の心理に決定的な影響を与え、その結果同女が自殺を決意する可能性があると予見することはおよそ不可能であったというべきである。なお、昭和五九年八月三日の花子の家出は自殺を目的としたものとは認められず、被告山内も当時そのような認識を持っていたと認めるに足りる証拠はないから、この点に関する原告らの主張は採用できない。

したがって、被告山内の花子に対する違法な言動と花子の自殺との間には相当因果関係は存在しないといわざるを得ない。

6  以上により、その余の点について判断するまでもなく、原告の主位的請求は理由がない。よって、以下、予備的請求について判断する。

五(被告岐阜県の責任)

1  学校教育活動の公権力の行使

原告らは、被告岐阜県に対し、第一次的に、国家賠償法一条にもとづく請求をしているから、まず、前記認定の被告山内の違法行為が同条に規定する「公権力の行使」に該当するか否かが問題となるところ、およそ国公立学校における学校教育活動は非権力的作用をその本質とするものではあるが、国家賠償法一条一項にいう「公権力の行使」とは、国又は公共団体の行う権力作用に限らず、純然たる私経済作用又は同法二条の営造物の設置管理作用を除く非権力作用をも含むものと解するのが相当であるから、国公立学校の教師の生徒に対する懲戒行為及び命令的指示などの教育活動は「公権力の行使」に該当するというべきである。

2  部活動における生徒への指導と公権力の行使

さらに、本件においては、部活動における陸上部の顧問としての生徒に対する指導が「公権力の行使」に該当するか否かが問題となるが、前記三1で述べたとおり、部活動も学校教育活動の一環である以上、そこにおける教師の生徒に対する関係も前記1と同様の理由で「公権力の行使」に該当するというべきである(もっとも、前記認定の被告山内の花子に対する違法行為のうち、昭和五九年一一月三日の学校行事である研修旅行中の体罰及び昭和六〇年三月二二日の懲戒行為に関しては、部活動中の違法行為というよりむしろ教育課程における懲戒行為そのものであるから、仮に部活動における生徒への指導が公権力の行使に該当しないとしても、本件においては、国家賠償法一条の適用について問題はない。)。

3  なお、この点、被告岐阜県は、部活動に対する県の教育委員会を通じての指導監督に種々の制約が存することを理由に、「公権力の行使」への該当性は一層希薄であるから、被告岐阜県としても右実情に即した責任しか負わない旨主張するが、公務員に対する地方公共団体の指揮監督の有無ないし強弱は国家賠償法一条の責任を認定するための要件ではないから、被告山内の花子に対する違法行為が公権力の行使に該当する以上、被告岐阜県はその行為について全責任を負うものと解され、被告岐阜県の右主張は理由がない。

4  以上から、被告岐阜県は、被告山内の花子に対する前記違法行為によって花子が被った後記精神的損害を賠償する責任がある。

六(花子の被った損害)

1  被告山内の花子に対する違法行為によって同女が生前被った精神的損害の有無について判断するに、前述のように、前記認定の被告山内の花子に対する言動のうち、昭和五九年七月二八日の有形力の行使、同年八月一四日の有形力の行使、同年一〇月八日の有形力の行使及び同年一一月三日の有形力の行使はいずれも相当違法性の強度な体罰であり、また、昭和五九年八月一一日及び昭和六〇年三月二二日の違法な身体の拘束並びに日常的な被告山内の花子に対する侮辱的発言を考慮するとき、一七歳という思春期の少女にどれほどの屈辱感を与え、どれほど自尊心を傷付けて精神的苦痛を与えたかは容易に推認しうるところである。そして、前記被告山内の花子に対する違法行為に関して、同女には懲戒の対象になるような非行行為は何ら存しないこと、被告山内の花子に対する違法行為が長期間にわたって繰り返されたことなど諸般の事情を総合考慮すると、被告山内の花子に対する前記違法行為により花子が被った精神的損害に対する慰謝料は三〇〇万円と認めるのが相当である。

2  なお、被告岐阜県は、花子は精神的苦痛を受けておらず、慰謝料請求権も取得していない旨主張するが、同女が精神的苦痛を受けたことは前記のとおりであり、〈書証番号略〉の「たたかれるのはもうイヤ、泣くのももうイヤ」という文言に同女の精神的苦痛が顕著に表われているというべきである。

また、花子が、個人の日誌(〈書証番号略〉)の三月二二日欄に「私は先生が好きだったけど、何も恩返しができんかった。おればおるほど迷惑かけてサー、人よりも多く感謝していたけど私は好かれなかった」と書いていることをもって、同女が死の直前に被告山内を宥怒していたと考えるのも相当ではない。前記認定の当時の花子のおかれた状況を考慮すると、右の表現はむしろ、たたかれ、侮辱的発言を受けながらも必死に被告山内の指導について行こうとする自分を被告山内は最後まで理解してくれなかったことの無念さを表現したものと解釈するのが相当である。

七(慰謝料請求権の相続可能性について)

1  原告らは、花子の両親であるから、同女の直系尊属として、同女の死亡により当然に同女が生前有していた前記慰謝料請求権三〇〇万円を各二分の一宛相続により取得したことが認められる。

2  この点、被告岐阜県は、慰謝料請求権は一身専属権であるから相続にはなじまない旨主張するが、慰謝料請求権は何ら本人の行使の意思表示を要せず当然に相続の対象となると解するのが相当であるから、右被告岐阜県の主張は採用の限りでない。

3  したがって、被告岐阜県は、原告らに対し、それぞれ金一五〇万円及びこれに対する訴えの変更申立書送達の日の翌日である平成二年一二月二一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

第二被告山内に対する請求について

原告らは、被告山内に対しても不法行為を理由とする損害賠償を求めているが、およそ公権力の行使に当たる公務員がその職務を行うにつき故意または過失により他人に損害を与えた場合には、国または公共団体が賠償の責めに任ずるのであって、当該公務員個人は直接に被害者に対し賠償責任を負担しないものと解するのが相当である。なぜなら、このような場合、国家賠償法一条一項により、完全な賠償能力のある国または公共団体が賠償の責任を負うから何ら被害者の救済に欠けるところがないのに、そのうえさらに当該公務員個人にまで直接責任を肯定しても、それは被害者の報復感情を満足させるにすぎないところ、損害賠償制度は本来損害の填補が目的であって加害者に制裁を加えることを目的とするものではなく、そのような報復的な賠償責任を認めるのは妥当でないからである。

そして、本件においては、前記のとおり、原告らの主位的請求は理由がなく、また、予備的請求については、被告山内の花子に対する違法行為が公権力の行使に該当する結果、被告岐阜県が賠償の責めに任ずるのであるから、その余の点について判断するまでもなく、原告らの被告山内個人に対する請求は理由がない。

第三結論

以上のとおり、原告らの本訴請求は、被告岐阜県に対する請求のうちそれぞれ金一五〇万円及びこれに対する平成二年一二月二一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による金員の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、同被告に対するその余の請求及び被告山内に対する請求はすべて理由がないからこれらを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文をそれぞれ適用し、また、仮執行宣言を付するのは相当ではないのでこれを付さないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官川端浩 裁判官青山邦夫 裁判官東海林保)

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